急な電話から始まった、慌ただしい日々
「救急搬送しました。〇〇病院に来てください」
ある日、介護施設から突然かかってきた電話。
手にしていた野菜をまな板の上に置き、私は無言のまま着替えを始めていました。感情よりも先に体が動いていたのを、今もはっきりと覚えています。
40代の今、私の毎日は家事・仕事に加えて、家族のケアや通院、役所での手続きなど予想外の用事でいっぱいです。予定通りに進む日なんて、ほとんどありません。
けれど、そんな日々の中でも「これだけは手放したくない」と思える、“暮らしの軸”のようなものが私の中にはあります。
私の心を整える、ささやかな「暮らしの軸」
たとえば、毎朝作るお弁当。
栄養を意識した食卓。
疲れていても整えたくなる、すっきりとした部屋の空間。
どれも最初は“誰かのため”に始めたことでした。けれどいつの間にか、それが私自身を整えてくれる「暮らしの柱」になっていたのです。
散らかった部屋に帰ってくると、気持ちまでくたびれてしまう。
食事を適当に済ませると、心もなんだかざわついてしまう。
そう気づいたときから、私は「自分の生活を自分で整えること」を何より大切にするようになりました。
完璧じゃなくていい。でも、守りたいリズムがある
すべてを完璧にやろうとすると、必ず息切れしてしまいます。
だから私は、「手をかけるところ」と「ゆるめるところ」を自分なりに見極め、暮らしに優先順位をつけるようになりました。
掃除を休む日があってもいい。洗濯を翌日にまわすこともある。
でも、出汁をとる。お弁当をつくる。寝る前に部屋をリセットする——
そういった“リズム”だけはできる限り崩さないようにしています。
「全部は無理。でも、これだけは守りたい」
そんな感覚が、忙しい日々の中でも私の心に静かな安定をくれています。
私が整えば、家族も整う。不思議な心の連鎖
不思議なことに、自分の心と体が落ち着いていると、家族の空気も自然と穏やかになります。
整った部屋に帰ってきたときの安心感。
温かいごはんがあるときの、自然に生まれる柔らかな会話。
「私が私らしくいること」そのものが、家族の土台にもなっていることに気づきました。
「自分を大切にすること」は、優しさのかたち
以前の私は、「今は家族のためが最優先」と、自分のことをいつも後回しにしていました。
でも今は違います。
家族を支えるためには、まず自分が整っていること。
それは決してわがままではなく、むしろ深い優しさなんだと、今は思えるようになりました。
栄養をととのえること。
部屋の空気をととのえること。
疲れたときは、休むことを選ぶこと。
どれもが、自分と周囲を健やかに保つための“整える習慣”になっています。
これからも、私の中に「暮らしの軸」を
想定外の出来事は、これからも続くかもしれません。
でも、だからこそ私は、自分を守るように「暮らしの軸」を持ち続けていたいと思います。
それは誰かに見せるためではなく、自分が穏やかに今日を生きるために。
この小さな積み重ねが、私らしい日々をつくってくれるから。