「青い鳥」という童話を、覚えていますか?
幸せの青い鳥を探して旅に出たチルチルとミチル。
長い旅の果てに、結局その鳥は、自分たちの家にいたと気づく―
そんなお話です。
子どもの頃は「ふーん」としか思っていなかった物語も、40代になった今、
その意味が胸にじんわりと沁みてくるようになりました。
隣の芝生が青く見えるのは、“自分の庭”を見ていないから
SNSで目にする、誰かのきらびやかな暮らし。
整った部屋、美味しそうな食卓、笑顔あふれる家族写真。
見るたびに、「私の暮らしは大丈夫かな」と
心がざわついたり、比べて落ち込んでしまったこともありました。
でも、よくよく考えてみれば、他人の芝生が青く見えるのは、そこだけを切り取って見ているから。
自分の庭にどんな花が咲いているかには、気づけていなかったのかもしれません。
幸せを語る人に、流されない
「私、家族と一緒で今とっても幸せ!」
「理想の暮らしを手に入れたの」
そんな風に、幸せを堂々と語る人を見ると、まぶしく感じることがあります。
けれど、それは本当に満たされているから語っているのか?
それとも、自分に言い聞かせているのか?
そう思うようになったのも、40代になったからこそかもしれません。
本当に幸せな人は、意外と静かです。
声高に語らなくても、佇まいや言葉の端々に、にじみ出るような穏やかさがある。
だからこそ、誰かの“幸せアピール”に心を振り回さない強さを、私たちは少しずつ身につけていきたいと思うのです。
幸せは、探すものではなく、気づくもの
40代になってから、自分の“ちょうどいい”が、やっとわかってきました。
たとえば―
◎ 焼きたての香りに包まれながら、家族と一緒に楽しむ、手作り焼き菓子のおやつ時間
◎ お気に入りの音楽と、小さなアロマの香りに包まれた静かな夜
◎ うまくいかない日も「まあいいか」と笑える余裕
どれも、派手さはありません。
でも、心がふっとゆるむ、私だけの「しあわせの瞬間」です。
これまで、“どこかに幸せがある”と思って探し続けていたけれど、
実はもうずっと、すぐそばにあった。
気づけなかっただけ。
ちゃんと見つめれば、私の毎日にも、小さな青い鳥は羽を休めていたのだと、今は思えるのです。
幸せの軸は、他人ではなく「自分の心」
昔は、「すごいね」と言われることが、うれしかった。
でも今は、「私が好き」「これでいい」と思えることのほうが、ずっと大切です。
誰かの評価や、社会的な正解に合わせるのではなく、
自分の内側から湧き上がる満足感を、しっかりと感じ取ってあげたい。
「これが私の心地よさ」
そう言える時間が増えるたび、心がふんわり整っていくのを感じています。
私の庭に咲く、小さな幸せを見つけて
比べてしまう日があっても、落ち込むことがあっても、
「青い鳥」のお話を思い出すようにしています。
遠くばかりを探さなくても、しあわせは、もうここにある。
◎ 今日の夕飯が美味しくできたこと。
◎ 洗濯物がふんわり乾いたこと。
◎ 家族の笑い声が聞こえたこと。
それだけで、十分だったのだと。
これからも、自分の庭に咲く小さな花たちをていねいに育てながら、静かなしあわせを見つけていきたいと思います。