気づけば、私が茶道と出会ったのは7歳の頃でした。
誰かに勧められたわけでも、親の習い事でもなく――ただ、そこにある静けさや所作の美しさに心を奪われたのを、今でも覚えています。
炭を入れる前に灰を整える、あの丁寧な「灰おさえ」の所作。
一見するとただの準備に見えるその動作に、私は子どもながらに「整えることの美しさ」を見ていたのかもしれません。
今、40代を迎え、日々の暮らしの中で「整える」ことの大切さを再び強く感じています。
それは部屋や予定だけでなく、心の波を整えるという意味でも。
灰おさえとは ─ 実用と美を兼ね備えた静かな技
茶道の炭点前で、炭を入れる前に灰を整える作業。
それが「灰おさえ」です。
使うのは灰匙(はいざじ)という金属製の道具。
その重みだけを頼りに、灰を撫でるように整えながら、形や高さ、深さを微調整していきます。
力を入れすぎず、でも芯のある手つきで整えることが求められる、繊細な所作。
この灰の形が美しく整っていることで、炭が効率よく燃え、釜の湯が穏やかに沸いていくのです。
つまり、「美しさ」の中に、深い実用性があるということ。
そしてそれはまさに、私たちの暮らしにも通じる感覚です。
現代の暮らしに「灰おさえ」を取り入れる
40代という節目は、生活や価値観が再編成される時期でもあります。
家庭、仕事、体調、老いや変化――そのバランスを取ることが求められるなかで、
私はこの「灰おさえ」の感覚が、静かに暮らしを支えてくれているように思います。
たとえばこんな風に:
◎ 朝のキッチンを整えること
冷蔵庫の中を軽く整える、水切りかごをきれいにする。
これも私にとっては「暮らしの灰おさえ」。
◎ 思考を静かに整える時間を持つ
コーヒーを一杯いれる。音楽を止めて、窓を開ける。
やるべきことの前に、自分の心の中を整えるだけで、ずっと楽になる。
◎ 書類やスケジュールを整える
やることリストの順番をちょっと入れ替える。不要な通知を切る。
見た目には目立たないけれど、心の中の「空気穴」をつぶさない工夫。
いずれも「誰かのため」ではなく、自分のために整える時間。
それは私にとって、茶道で学んだ“準備の美しさ”を暮らしに活かす行為です。
「形を整える」ことで、内側も整う
灰おさえでは、形が整うことで、炭の火が穏やかに育ち、釜の湯が沸くという流れが生まれます。
それはまるで、自分の外側を整えることで、内側にも熱が宿るような感覚。
40代の私たちが目指す暮らしも、同じかもしれません。
完璧を目指すのではなく、“整えて、あたためる”という静かな準備を大切にすること。
「灰おさえ」は、そんな生き方をそっと教えてくれる存在なのです。
静かな所作が、私の背筋を伸ばす
茶道の時間は、動きが静かであればあるほど、内側は豊かに満ちていきます。
それは子どもの頃の私が惹かれた理由であり、今も変わらず私を支えてくれる感覚。
日々の忙しさの中でも、小さな「灰おさえの時間」を見つけていく。
それが、今の私の「私時間」であり、心地よい暮らしへの道しるべになっています。