「枯れ枝は、枯れ枝を呼ぶ」と気づいた日
ある日、園芸家の方が庭木の手入れについて話していたことをふと思い出しました。
「枯れ枝は枯れ枝を呼ぶんです。放っておくと、そこから風通しが悪くなって、木全体に影響してしまうんですよ」と。
その言葉が、なぜか私の暮らしにも重なって聞こえたのです。
使わないけれど捨てられない雑貨、惰性で続けている習慣、会ったあとにどっと疲れてしまう人間関係。
それらが少しずつ増えて、まるで心の中にも“枯れ枝”が溜まっていくような感覚。
そして気づいたのです。
何かを放置していると、似たようなものが次々とくっついてくる。
心にも暮らしにも、新しい風が通らなくなってしまうのだと。
たとえば—
● 着ないけれど高かった服
● 気が進まないままのSNSフォロー
● 返事を急がなきゃと焦るLINE
● やりたくないのに断れない仕事
そのどれもが、まるで枯れ枝のように心にひっかかり、やがて風通しを悪くしていく。
そしてひとつ気づいたことがあります。
何かを手放さないと、新しい芽は伸びにくい。
心も暮らしも、同じだと実感するようになりました。
手放すことは、失うことじゃない
最初に手放したのは「着ないけれど捨てられなかった服」。
「いつか痩せたら」「高かったから」——そんな理由で残していた服たちは、今の私にはもう似合わないものでした。
SNSも見直しました。
心がざわつく投稿や、見たあとに自分を責めるような気持ちになるアカウントは、そっとフォローを外して。
人間関係もそう。
「また今度ね」と言いながら何度も先延ばしにしていた予定は、きっともう今の私にとっては必要のないご縁なのかもしれません。
手放すこと=関係を断つことではなく、いったん距離を置いて、自分にやさしくなること。
それだけで、暮らしは驚くほど軽くなります。
花を咲かせるための、“整える暮らし”
枯れ枝をそっと外したあと、空間にも心にも“余白”が生まれました。
その余白が、ゆっくりと新しい風を運んでくれる——そんな感覚があります。
40代からの暮らしは、何かを「足す」ことよりも、「整える」ことに心地よさを感じるようになります。
がんばらなくていい。よく見せなくてもいい。
ただ、“今の私”に合ったものだけを選んでいけばいいのだと思えるようになったのです。
枝を整えた木に、春はまた巡ってくる
冬の間、木々は枯れ枝を落として春に備えます。
風が通り、陽が当たってこそ、新しい芽が伸びて、花が咲く。
それは、私たちの暮らしや心にも同じことが言えるのかもしれません。
「もう、今の私には必要ないな」と思ったものには、無理にしがみつかなくていい。
静かに、そっと外してあげることで、新しい芽が伸びるスペースが生まれるから。
今のあなたに、必要ないものはなんですか?
暮らしの中にある“枯れ枝”に気づいたら、それはきっと整えはじめのサイン。
花を咲かせるために、いま少しだけ、自分の手で枝を軽くしてあげてみませんか?