“帰らない選択”が命を守る|40代の私が震災で学んだ、防災の常識

①<防災>

災害は、いつ起こるかわかりません。
40代になった今、「備えること」の意味を深く考えるようになりました。

私が本当にそれを実感したのは、東日本大震災の時です。
当時私は新宿で働いていて、いつものように仕事をしていた午後、突然の大きな揺れが襲いました。

携帯はつながらず、電車もすべてストップ。街全体が、不安と混乱に包まれていました。
その日、多くの人が「とにかく家に帰らなくては」と、歩いての帰宅を始めました。中には、家族が迎えに来るのを何時間も待ち続ける方もいました。

けれど私は、その場を離れず、新宿区役所に避難するという選択をしました。

夜には毛布や飲み物、簡単な食事も配られ、周囲の人々とも助け合いながら、一晩を安全に過ごすことができました。

当時は「早く帰らなきゃ」と焦る気持ちも正直ありましたが、今振り返ると、あの“とどまる”という判断が、自分を守ってくれたのだと思います。

徒歩帰宅は、美談ではない

災害時に歩いて何十キロも帰宅した話を、あたかも「頑張ったエピソード」として語られることがあります。
けれど実際には、徒歩での帰宅は命のリスクを伴います。

足を痛めたり、寒さや脱水で倒れたりする危険があり、特に体力や持病に不安のある方にとっては過酷な選択です。

それだけではありません。
徒歩帰宅者が道路を埋め尽くすことで、本当に必要な人に届くはずの救急車や消防車が進めなくなるという深刻な問題もあります。
都市部では、こうした交通混乱が救助や消火活動を遅らせ、被害を拡大させる要因になるのです。

私たちが「帰らない」という選択をすることは、自分自身を守るだけでなく、他の命を守ることにもつながるのです。

その場に「とどまる」という備え

最近では企業や公共施設も、「帰宅困難者」を想定した備蓄を進めています。
毛布や水、非常食、簡易トイレなどを備えているところも増え、以前に比べて、避難環境は整ってきています。

もちろん、万が一のときに備えて、自分でも小さな非常持ち出しセットをカバンに入れておくことも大切。
でも一番大切なのは、「とどまる」という意識を、普段から家族や職場の人たちと共有しておくことだと思います。

帰宅できない=不安 ではなく、
とどまる=守る行動 であることを、あらかじめ知っておくだけで、いざという時に気持ちが落ち着きます。

私たちができる、やさしい防災

防災と聞くと、非常食や水、懐中電灯を揃えることに意識が向きがちです。
けれど、「とどまる」という意識もまた、立派な防災のひとつだと、私は思います。

震災は誰にでも起こり得ること。
そのとき、自分を守り、大切な誰かを危険にさらさないために——

「帰らない勇気」と「とどまる備え」を、今から心に持っておきたい。

そんなふうに、40代になった今、思うようになりました。

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