物語の徳を、暮らしへ。八つの徳で整える、40代からの私時間:第3回|礼(れい)× 犬山道節「丁寧さは、形より心」

②【生き方・考え方】

40代になってから、
私は「ちゃんとしている人」でいようとすることに、
少し疲れを感じるようになりました。

挨拶はきちんと。
言葉遣いは丁寧に。
失礼のないように、場に合うように——

それ自体は悪いことではないはずなのに、
気づくと心が置き去りになっている。
そんな感覚が、どこかにありました。

そんなときに思い浮かんだのが、
八犬伝の徳目のひとつ、「礼」でした。

礼=形式ではない

八犬伝における「礼」は、
単なる作法や、外から見える振る舞いの美しさではありません。

犬山道節が体現する「礼」は、
相手を思い、場を尊びながらも、
自分の心を偽らない姿勢。

形を守ることよりも、
「どう在るか」を大切にする徳です。

それは、
きちんと見せるための礼ではなく、
心がこもっているかどうかを問う礼。

今の私には、
とても現実的で、
暮らしに引き寄せやすい教えに感じられました。

「ちゃんとしなきゃ」に縛られていた私

以前の私は、
「礼」をとても真面目に受け取りすぎていました。

失礼があってはいけない。
雑に見られたくない。
大人なんだから、きちんとして当然。

そんな思いが積み重なり、
いつの間にか、
自分にだけ厳しいルールを課していたのだと思います。

丁寧にしているつもりが、
心の中では余裕がなく、
終わったあとに、どっと疲れる。

それは、
礼を尽くしているというより、
自分をすり減らしていただけだったのかもしれません。

私にとっての“心ある礼”

八犬伝の「礼」に触れて、
私の中でひとつの考えが変わりました。

礼とは、
完璧にこなすことではなく、
「今の自分に無理がないか」を
ちゃんと感じ取ることなのではないか、と。

・余裕のない日は、簡潔な言葉で伝える
・気持ちが伴わない丁寧さは、無理に続けない
・できないときは、正直にそう伝える

それもまた、
自分と相手、両方を大切にする礼なのだと
思えるようになりました。

無理のない丁寧さが暮らしを整えた

「きちんとしすぎない」ことを選ぶと、
暮らしは少しずつ、静かに整っていきました。

言葉を選びすぎて黙り込むことも減り、
形だけの丁寧さに追われることもなくなる。

不思議と、
人とのやりとりも、
以前より温度のあるものになった気がします。

無理のない丁寧さは、
自分を守りながら、
相手にも誠実でいられる在り方。

それが、
今の私にとっての「礼」です。

礼は自分を消耗させない

礼は、
自分を小さくするための徳ではありません。

我慢を重ねることでも、
常に正しく振る舞うことでもない。

本来の礼は、
自分の心をすり減らさずに、
相手と向き合うための知恵。

40代の今だからこそ、
形よりも、心の余白を大切にしたい。

そう思えるようになったこと自体が、
私にとっての、小さな整いでした。

まとめにかえて

礼とは、
外からどう見えるかではなく、
内側に無理がないかを確かめる徳。

八犬伝の物語に描かれた教えは、
立派に生きるための道徳ではなく、
日々を穏やかに過ごすためのヒントなのだと、
改めて感じています。

物語の徳を、暮らしへ。
40代からの私時間は、
そんなやさしい指針とともに、
少しずつ整えていけたらと思います。

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