40代になってから、
私は「正解を探し続けること」に、
少し疲れを感じるようになりました。
本を読んでも、
誰かの言葉を聞いても、
どこかしっくりこない。
「まだ知らない答えがあるはず」
そう思いながらも、
心の奥では、
もう十分に見てきた気もしていました。
そんなときに浮かんだのが、
八犬伝の徳目のひとつ、「智」でした。
智=知識ではなく“使える知恵”
八犬伝における「智」は、
物知りであることや、
賢く見えることを意味していません。
犬田小文吾が体現する「智」は、
状況を見極め、
これまでの経験をもとに判断する力。
知っているかどうかより、
どう使うか。
机の上で得た答えではなく、
生きる中で積み重ねた理解。
それが、「智」という徳なのだと感じます。
正解探しに疲れていた頃
以前の私は、
迷うたびに「正しい答え」を探していました。
誰かの成功例。
専門家の意見。
今の流行や、新しい考え方。
もちろん、それらは大切です。
でも、追いかければ追いかけるほど、
自分の感覚が分からなくなっていきました。
「私は、どうしたいんだろう」
そう自分に問いかける前に、
外の声を集めすぎていたのだと思います。
40代の私が持っていた経験値
あるとき、ふと気づきました。
私はもう、
何も知らないわけではない、ということに。
・失敗して学んだこと
・無理をして体を壊した経験
・続かなかった選択
・逆に、長く続いているもの
それらはすべて、
私の中に残っている“答え”でした。
40代の私は、
ゼロから判断する人ではなく、
経験値を持った人だったのです。
迷いが減った理由
経験を信じるようになってから、
迷いは完全になくなったわけではありません。
でも、
立ち止まる時間は、確実に短くなりました。
「前も似たような場面があった」
「この感覚は、だいたい後で後悔しない」
そんな小さな確信が、
進む方向をそっと示してくれる。
それは、
派手な自信ではなく、
静かな納得感でした。
智は年齢とともに育つ
智は、
若さの代わりに失うものではありません。
むしろ、
年齢とともに育っていく徳。
遠回りしたからこそ、
わかることがある。
選び直してきたからこそ、
見える景色がある。
40代になった今、
私はようやく、
自分の中にある「智」に
耳を傾けられるようになりました。
まとめにかえて
智とは、
新しい知識を集め続けることではなく、
これまでの経験を、
信じて使うこと。
八犬伝の教えは、
立派に生きるための訓示ではなく、
「もう、あなたは分かっているはずだよ」
と背中を押してくれる物語なのだと思います。
物語の徳を、暮らしへ。
40代からの私時間は、
学び続けるだけでなく、
信じる力とともに整えていけたら。
そう思えるようになったことが、
今の私にとっての「智」でした。
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