花と俳句で整える、私の四季時間 ― 12ヶ月の花で作る、40代からのやさしい俳句

①【暮らしと知恵】

俳句って、難しそう。そう思って、ずっと遠ざけていました。五・七・五のリズムに、季語を入れなければならない。切れ字も使う。情景を17文字に凝縮する。そんな高尚なもの、私には無理だと思っていたのです。

でも、ある春の朝、道端で桜を見上げたとき、ふとこんな言葉が心に浮かびました。

散るときも こんなに美しい 桜かな

「あ、これが俳句なのかもしれない」。そう思った瞬間、俳句がぐっと身近になりました。

この記事は、花をひとつ見つけて、感じたことを17文字にする、それだけのやさしい俳句の手引きです。前半は俳句の基本と作り方、後半は12ヶ月の花と季語、先人の句と作り方の例を並べました。うまく作ろうではなく、今日の自分の気持ちを花に乗せる。そんな感覚で、今月の花から読んでいただいても、最初から順に読んでいただいても大丈夫です。

俳句は、感じたことを17文字にするだけ

俳句は、世界でいちばん短い詩といわれています。五・七・五、わずか17音。でもその中には、季節の空気や光、香り、そのときの自分の気持ちが、すべて詰まっています。難しく考える必要はありません。今日感じたことを、17音に乗せる。それだけでいいのです。

この記事では、題材を花に絞ります。花は季節の移り変わりを、いちばん素直に教えてくれます。特別な場所に行かなくても、散歩の途中や庭の片隅、駅へ向かう道の脇に、いつも咲いています。そして花を見る時間は、忙しさからふっと離れる瞬間でもあります。その静かな時間に17音を乗せると、感じた美しさを、そっと手元に残せます。

知っておくと作りやすくなるのは、3つのことだけです。ひとつ目は、五・七・五のリズム。俳句は、上五(かみご)、中七(なかしち)、下五(しもご)の3つに分かれます。「さくらさく(5) 空がにじんで(7) 見えなくて(5)」のように、声に出して読んだとき自然なリズムになっていれば十分で、厳密に数えすぎなくて大丈夫です。

ふたつ目は、季語です。俳句には、季節をあらわす言葉をひとつ入れるのが基本です。花の名前はそのまま季語になるものが多いので、花の俳句は季語を入れやすいのが良いところです。ただ、季語はひとつで十分です。「桜」と「春風」を両方入れると「季重なり」といって、焦点がぼやけてしまいます。桜を詠むなら、桜ひとつに絞る。それだけで句がすっきりします。

三つ目は、切れ字です。「や」「かな」「けり」といった言葉を入れると、そこで一瞬の間が生まれ、俳句らしい余韻が出ます。「菜の花や 黄色があふれ 道の果て」のように。慣れてきたら少しずつ使ってみてください。使わなくても、十分すてきな俳句になります。

花の俳句の作り方 ― 3つのステップ

まず、花をひとつ見つけます。散歩中でも、窓の外でも、買い物の途中でも。「あ、きれいだな」と思った花をひとつ。スマートフォンで写真を撮っておくのもおすすめです。

次に、その花を見て感じたことを、思いつくままにメモします。光を浴びてきらきらしていた。風に揺れていた。なんだかせつなくなった。元気をもらった気がした。どんな言葉でもかまいません。

最後に、メモした言葉を五・七・五に並べていきます。最初はぴったり入らなくても大丈夫です。声に出しながら、少しずつ言葉を入れ替えてみてください。

40代になって、静かな時間の大切さを、以前よりずっと感じるようになりました。忙しい毎日の中に、少し立ち止まる時間をもてるかどうかで、心の余裕がまったく違ってきます。俳句は、そんな立ち止まる時間にぴったりの習慣です。ノートと鉛筆、あるいはスマートフォンのメモだけあれば、どこでもできます。うまく作れなくてもいいし、誰かに見せなくてもいい。今日感じたことを言葉にして残すだけで、心がすっと整っていく感覚があります。

12ヶ月の花と季語

ここからは、一年をめぐる12の花をご紹介します。今日のあなたのそばに咲いている花を、探してみてください。

月花俳句での季節関連する季語
1月水仙冬水仙、寒水仙
2月梅春(初春)梅、白梅、紅梅、梅が香
3月たんぽぽ・菜の花春たんぽぽ、菜の花、すみれ
4月桜春桜、花吹雪、花筏、葉桜(夏)
5月藤春(晩春)藤、藤棚、藤波
6月紫陽花夏紫陽花、七変化、額の花
7月朝顔秋朝顔、朝顔市(夏)
8月ひまわり夏向日葵、日車
9月コスモス秋秋桜、コスモス
10月金木犀秋金木犀、木犀
11月山茶花冬山茶花
12月椿冬(寒椿・冬椿)寒椿、冬椿

藤や朝顔、椿のように、今の暮らしの感覚と、俳句の季節がずれている花もあります。それぞれの月のところで、少しずつご紹介します。

1月 水仙 ― 寒さの中に、まっすぐ立つ

一月の凍える朝。まだ何も咲いていないと思っていた庭に、水仙が咲いていました。細くまっすぐな茎の先に、白い花。派手さはないけれど、寒さの中で凛と立つ姿に、思わず足を止めます。

水仙や白き障子のとも移り 松尾芭蕉

白い水仙と白い障子が、互いの白さを映し合っている。冬の部屋の、静かで澄んだ光が見えてくるような句です。

水仙は冬の季語で、寒い時期に咲くものを寒水仙ともいいます。新年の花としても親しまれてきました。水仙を見ていると、華やかでなくていい、目立たなくていい、寒さの中でもまっすぐ立っていられれば、それで十分だと思えます。若い頃はもっと咲き誇りたかった。でも今は、誰も見ていない朝の庭で静かに咲いている水仙のほうが、美しく感じられます。

たとえば、こんな句が作れます。

水仙や 誰も見てない 朝の庭
水仙の 白さに冬の 深さ知る

一月は、新しい年が始まったばかりの月。抱負を立てても、日常はすぐに戻ってきます。そんなとき、朝の空気の中で水仙を見る時間をもってみてください。背筋がすっと伸びるような感覚が、一年の始まりを静かに整えてくれます。

2月 梅 ― 春を、いちばんに告げる

二月。まだコートが手放せない頃に、梅は咲きます。散歩道でふと甘い香りがして、見上げると、枝先に小さな花。「もう咲いているんだ」というその驚きが、毎年うれしいのです。

梅一輪一輪ほどの暖かさ 服部嵐雪

この句が、私はいちばん好きです。梅が一輪咲くたびに、少しずつ春が近づいてくる。一気に春が来るのではなく、一輪ずつ暖かくなっていく。40代の変化も、こういうものかもしれないと思います。

梅は春の季語です。まだ寒い時期に咲きますが、春の訪れを告げる花として扱われます。白梅、紅梅と色で詠み分けたり、梅が香と、姿より香りに焦点を当てたりもします。桜は一斉に咲いて、一斉に散る。梅は少しずつ咲いて、長く咲いている。急がない、競わない。「まだ寒いけれど、咲いてみる」というその控えめな勇気が、今の私にはとてもしっくりきます。

白梅や まだ寒いのに 咲いてみる
梅が香に 立ち止まったら 春だった

梅は、姿より先に香りで気づくことが多い花です。いつもの散歩道を、少しだけゆっくり歩いてみてください。ふと甘い香りがしたら、立ち止まる。その瞬間が、二月の一句になります。

3月 たんぽぽと菜の花 ― 足もとの春

三月になると、足もとがにぎやかになります。アスファルトのすき間から顔を出すたんぽぽ。土手いっぱいに広がる菜の花。道端のすみれ。見上げる桜より先に、春は足もとからやってきている。そのことに気づいたのは、40代になってからでした。

菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村

一面の菜の花畑と、東にのぼる月、西に沈む夕日。たった17音で、雄大な景色が目の前に広がります。蕪村は画家でもあったので、絵のように目に浮かぶ句が多いのが特徴です。

たんぽぽも菜の花もすみれも、春の季語です。足もとの花は、季語の宝庫です。若い頃は、大きくて色鮮やかな花に目が行っていました。でも今は、誰も水をやっていないのに咲いているたんぽぽに心が動きます。踏まれても、また咲く。華やかさより、続く強さを美しいと思うようになったのかもしれません。

たんぽぽや 踏まれた場所に また黄色
しゃがみこむ 春は足もと すみれ咲く

三月におすすめしたいのは、しゃがんでみることです。いつもの道で、一度だけしゃがんで、足もとを見てみてください。立って見る景色と、しゃがんで見る景色は、まるで違います。小さな花たちを見つけたその発見が、そのまま一句になります。

4月 桜 ― 今年の桜は、今年だけ

桜が咲くたびに、「今年も来てくれた」と思う自分がいます。散り際の美しさに、なぜか胸が締めつけられる。40代になってから、その感覚がより深くなった気がします。

さまざまの事思ひ出す桜かな 松尾芭蕉

桜を見ていると、さまざまな記憶がよみがえってくる。説明を一切省いて、ただ「桜かな」と結ぶ。この余韻が、俳句の醍醐味だと思います。

俳句ではなく和歌ですが、桜といえば、平安の終わりの歌人、西行のこの歌も忘れられません。

願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ 西行

桜の花の下で、春に命を終えたい。桜と命をめぐる日本人の感性が、深く込められた歌です。

桜は春の季語で、俳句では「花」とだけ書いて桜を指すこともあります。花びらが風に舞う花吹雪、水面に浮かぶ花びらの帯を花筏、花が散って緑の葉が出た葉桜(こちらは夏の季語)と、同じ桜でも、咲いているとき、散るとき、葉になったときで、それぞれに季語があるのが面白いところです。

20代の頃の花見は、にぎやかさがすべてでした。桜はどこか背景のような存在だった気がします。でも40代になった今、毎年同じように咲く桜を、毎年少し違う気持ちで見上げています。慌ただしく過ごした年の桜は、気づいたら散っていた。穏やかな気持ちで迎えた年の桜は、いつまでも目に焼きついている。桜は変わらない。変わっているのは、私のほうなのかもしれません。

私が詠んだ句です。

花びらが 肩に一枚 春の風
ひとりゆく 桜の道が ちょうどいい

今年ぜひ試してほしいのが、ひとり花見です。お気に入りの飲み物を持って、桜並木や公園へ。スマートフォンはかばんにしまって、ただ桜を見上げる時間を10分だけ。心に浮かんだ言葉をメモしておき、帰り道に17音に並べてみる。それだけで、今年の桜がひとつの句として手元に残ります。桜は毎年咲きます。でも、今年の桜は今年しかありません。

5月 藤 ― 揺れながら、咲いている

五月の藤棚。紫色の花房が、いく重にも垂れ下がっています。風が吹くたびに、ゆらり、ゆらりと揺れる。その重さと揺れが、藤という花の魅力だと思います。

草臥れて宿かる頃や藤の花 松尾芭蕉

旅に疲れて宿を探す夕暮れ、そこに藤の花が咲いていた。疲れた体にそっと寄り添う花の姿に、しみじみとした実感がこもっています。

今の暮らしでは初夏の花という印象がありますが、藤は俳句では晩春、春の終わりの季語です。藤を這わせた棚を藤棚、風に揺れる藤を波にたとえて藤波とも詠みます。藤はまっすぐ立つ花ではなく、垂れ下がって、風に任せて揺れています。でも、根はしっかりと張っている。揺れることは、弱さではない。しっかりした根があるからこそ、安心して揺れていられるのだと思います。

藤棚や 揺れてもいいと 風が言う
藤の花 重さを風に あずけたり

藤棚は、公園や神社によくあります。藤棚の下に立って、ゆっくり見上げてみてください。花の重さ、風の音、紫の影。10分だけ立ち止まる時間が、五月の一句を連れてきてくれます。

6月 紫陽花 ― 雨の日を、好きになる

六月。雨の日が続くと、少し憂鬱になります。でも紫陽花だけは、雨のほうが美しい。濡れた花びら、水滴をのせた葉、しっとりとした空気の中の青や紫。紫陽花のおかげで、雨の日を少し好きになれた気がします。

紫陽花や藪を小庭の別座敷 松尾芭蕉

藪をそのまま小さな庭に見立て、紫陽花の咲くその一角を、離れの座敷のようだと詠んでいます。飾らない庭の風景の中に、紫陽花がしっくりとなじんでいます。

紫陽花は夏の季語です。咲きながら色が変わることから七変化、ガクアジサイは額の花とも呼ばれます。土の性質によって、青にも、ピンクにも、紫にもなる。40代になって、自分が変わっていくことに戸惑うことがあります。好きだったものが変わり、考え方が変わり、体が変わる。でも紫陽花は、変わりながら、ちゃんと美しいのです。

紫陽花や 雨の日だけの 青がある
傘の下 紫陽花だけが 濡れている

六月は、あえて小雨の日に、傘をさして紫陽花の咲く道を歩いてみてください。足もとに気をつけながら、ゆっくりと。雨の音、濡れた葉の匂い、しっとりとした色。晴れの日には気づかない豊かさが、そこにあります。

7月 朝顔 ― 朝だけの、約束

朝顔は、朝しか咲きません。昼にはしぼんでしまう。早起きした人だけが見られる花、というのが朝顔の特別さだと思います。

朝顔に釣瓶とられてもらひ水 加賀千代女

朝、井戸に水を汲みに行ったら、釣瓶の縄に朝顔のつるが巻きついていた。花を傷つけたくなくて、隣の家に水をもらいに行った。やさしさが、そのまま句になっています。私がいちばん好きな俳句のひとつです。

少しややこしいのですが、朝顔は俳句では秋の季語です。昔の暦では、朝顔の咲く頃が秋にあたっていたためです。一方で、7月に開かれる朝顔市は、夏の季語になっています。季語は生きた言葉なので、自分で詠むときは、実感を大切にすればいいと思います。

咲くのは、朝の数時間だけ。でも朝顔は、その短さを嘆いていない。ただ、今咲いている。40代になると、時間に限りがあることを感じる場面が増えます。でも朝顔は、短いからこそ今が美しいのだと教えてくれます。

朝顔や 今日だけの青 咲いている
早起きの ごほうびに咲く 朝顔よ

七月は、朝の時間が気持ちいい季節です。いつもより10分だけ早く起きて、外に出てみてください。朝顔でなくてもかまいません。朝の光の中の花を、ただ見る。その10分が、一日の始まりを変えてくれます。

8月 ひまわり ― 迷わず、太陽を向く

八月。強い日差しの中で、ひまわりが咲いています。大きくて、黄色くて、まっすぐで。迷いがない、という言葉がいちばん似合う花かもしれません。

向日葵は夏の季語で、日車(ひぐるま)という別名もあります。正直に言うと、ひまわりは少し苦手でした。明るすぎて、元気すぎて、「がんばれ」と言われている気がして。でも最近、見方が変わりました。ひまわりは、がんばっているのではない。ただ、自分の向きたい方向を、まっすぐ向いているだけ。そう思ったら、急に親しみがわきました。

向日葵や 迷わぬことの まぶしさよ
ひまわりの 背丈を越えて 夏が来る

八月は暑くて、外に出るのがおっくうになる季節です。でも、夕方の少し涼しくなった時間なら歩けます。夕暮れのひまわりは、昼間とは違う表情をしています。強い日差しではなく、やわらかな光の中の黄色。その静けさが、八月の一句になります。

9月 コスモス ― 揺れることを、恐れない

九月。コスモスが風に揺れています。細い茎の先に、薄い花びら。強い風が吹けば大きく揺れる。でも、折れない。そのしなやかさが、コスモスの美しさだと思います。

コスモスは秋の季語で、「秋桜」と書いてコスモスと読ませます。実はコスモスが日本に入ってきたのは明治の頃なので、芭蕉や蕪村、一茶の時代の句にはコスモスは登場しません。比べて新しい季語だからこそ、今の私たちが自由に詠める花でもあります。

コスモスは、群れて咲く花です。たくさん咲いているからこそ美しい。でも、それぞれが違う方向に揺れています。同じ場所にいながら、同じ方向を向いていない。近くにいても、同じでなくていい。40代の人間関係も、そうありたいと思うのです。

秋桜や みな違う向き 同じ場所
風のたび 揺れて戻って コスモスよ

近くにコスモスの咲く場所があれば、ひとりで歩いてみてください。一面に広がる薄紅色の中に立つと、不思議と心がほどけます。風が吹くたびに、いっせいに揺れる音。その音を聞く時間が、九月の私時間です。

10月 金木犀 ― 香りが、先に届く

十月のある日。歩いていたら、ふと甘い香りがしました。「あ、金木犀」。見上げると、小さなオレンジ色の花。姿より先に、香りで季節を知らせてくれる花です。

金木犀は秋の季語で、金木犀と銀木犀をまとめて木犀とも詠みます。香りを詠むのが、金木犀の句の醍醐味です。香りは、子どもの頃の秋の通学路や、祖母の家の庭のような、遠い記憶を呼び起こしてくれます。

金木犀が咲いている時期は、とても短いものです。雨が降れば、すぐに散ってしまいます。「今年の金木犀は、あっという間だった」と思う年が、何度もありました。だから今は、香りに気づいたら必ず立ち止まるようにしています。

金木犀 香りばかりが 先に来る
立ち止まる 理由をくれる 木犀よ

十月は、歩くのが気持ちいい季節です。香りに気づいたら、必ず立ち止まる。そう決めておくだけで、秋の散歩がまったく違うものになります。深く息を吸って、その香りを味わう。それだけで、十月の一句が生まれます。

11月 山茶花 ― 冬の入口に、咲き続ける

十一月。紅葉は美しいけれど、花の少ない季節です。そんな中で、山茶花がひっそりと咲いています。生垣に、公園の隅に、誰も見ていない場所で。

山茶花は冬の季語です。よく似た椿との違いを知っておくと、句が作りやすくなります。山茶花は花びらが一枚ずつ散り、椿は花がまるごと落ちます。山茶花は咲く期間が長く、少しずつ散りながら、また新しい花が咲く。一気に咲いて一気に散るのではなく、続けている。派手に咲かなくていい、長く静かに続けていられれば。40代の生き方も、そうありたいと思うのです。

山茶花や 誰も見てない 生垣に
散りながら また咲いている 冬の花

十一月は、花を探すのが少し難しい季節です。だからこそ、見つける楽しみがあります。生垣や公園の隅を、意識して見てみてください。きっとどこかで咲いています。その見つけた喜びが、十一月の一句になります。

12月 椿 ― 凛として、冬に咲く

十二月。空気が澄んで、寒くなる季節。濃い緑の葉に、鮮やかな赤い花。椿は、寒ければ寒いほど、その色が際立つように感じます。

赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐

赤い椿が落ちた。白い椿も落ちた。ただそれだけなのに、色が鮮やかに目に浮かびます。説明をしないことの力を感じる句です。

落ちざまに水こぼしけり花椿 松尾芭蕉

椿が落ちる瞬間、花にたまっていた水がこぼれた。一瞬を切り取るという、俳句の本質が詰まっています。

椿は、俳句では春の季語です。冬に咲くものは寒椿、冬椿として、冬の季語になります。椿の散り方は独特で、花びらが一枚ずつではなく、花ごと、ぽとりと落ちます。その潔さは少し怖くもあり、美しくもあります。咲くときは咲き、終わるときは終わる。その潔さを、今の私も持ちたいと思うのです。

寒椿 凛と一輪 朝の庭
冬椿 赤が一点 白き庭

十二月は、一年を振り返る月です。今年の花を思い出してみてください。春の桜、六月の紫陽花、秋のコスモス。いちばん心に残った花を、もう一度17音にしてみる。一年の終わりに、今年いちばんの一句を作る時間もおすすめです。

俳句を作ると、ものの見方が変わる

俳句を作るようになって、いちばん変わったのは、見る目でした。同じ道を歩いていても、気づくものが増えます。あ、咲いている。今日は少し散っている。香りが変わった。それまで通り過ぎていた景色が、急に豊かになる。俳句は、季節を感じる目を育ててくれます。

もう一度お伝えしたいのは、うまく作らなくていい、ということです。誰かに見せなくていい。季語が合っているか、五七五が正確か、そんなことも二の次でいい。大切なのは、今日この花を見てこう感じた、ということを、言葉にして残すことです。

もし続けてみたくなったら、小さなノートを一冊用意してみてください。日付と、花の名前と、一句。それだけで十分です。一年後に読み返したとき、そこには去年のあなたがいます。俳句は、記憶を閉じ込めるタイムカプセルのようなものです。

花は毎年咲きます。でも、今年の花は今年しかありません。そして、その花を見ている今年の私も、今年だけ。今日の帰り道、一輪だけでいいので、花を探してみてください。「あ、咲いている」。その気づきが、あなたの花の俳句の始まりです。

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