写真を意識しなかった日々
ブログを始める前、私はほとんど写真を撮らないほうでした。スマホのアルバムもいつもスカスカ。写真は記録のためにあるものだと思っていたのです。
ブログが「今」を撮らせるきっかけに
でもブログを書き始めると、「この場面、写真で一緒に伝えられたらもっと響くだろうな」と感じることが増えました。
確かに過去の写真を使えば済むけれど、ブログは“今”を綴る場所。少し古い写真には、そのときの空気や気持ちがどうしても宿らない。
だから今では、過去に頼らず、その日に感じた光や空気、心の動きを撮ることを大切にしています。
何気ない瞬間に、カメラを向けたくなる
ある朝、湯気の立つマグカップにふと目が留まり、無意識にカメラを向けました。
また別の日、車窓から差し込む夕暮れの光に心を奪われ、スマホを取り出したことも――
どちらも何気ない日常でしたが、「今ここにある静かな美しさ」に気づいた瞬間でした。
「映え」ではない、「今の心地よさ」を撮る
始めた当初は「映える写真を撮らなきゃ」と肩に力が入っていました。
しかし、ある朝の柔らかな光に包まれたマグカップを見たとき、「写真に必要なのは、特別な構図ではなく、今の心地よさなんだ」と気づいたのです。
それ以来、日常の“好き”に目を向けるようになりました。
◎ 立ち寄ったカフェの香り高い珈琲
◎ 散歩道で出会った小さな野鳥
◎ 実家の庭で揺れる植物
これらは特別ではないけれど、私の暮らしを彩り、救ってくれる存在です。
写真が、私の心とつながる時間に
写真を撮る習慣を続けるうちに、自分の気持ちにも敏感になりました――今日はどんなものに惹かれた?どんな景色に心が動いた?
そうした問いが、写真に映し出されるようで、自分自身を見る鏡にもなってくれます。
かつて「写真=記録」だったものが、「私の感性を記録する時間」へと変化しました。これはブログを書く上でも、暮らしを整える上でも、大切なヒントになっています。
フレッシュな写真が言葉に温度を添える
ブログに添える写真は言葉の“補助”ではなく、言葉の意味や気持ちを支える“声”のような存在です。
特にその日に撮った“今の写真”は、記事にリアリティと温かさをもたらしてくれます。
読者が「この暮らし、なんだか心地よさそう」と感じてくれるなら、それだけでシャッターを切る価値があります。
写真は暮らしを見つめ直す“小さなルーペ”
40代になり、自分の時間の使い方や心の在り方を見直すようになった今。写真を撮るという行為は、暮らしを見直す“小さなルーペ”になりました。
「いいな」と思った瞬間を見逃さず形に残す。それは、忙しい毎日の中でも自分を大切にする習慣です。
「今」を残すことで暮らしがもっと好きになる
昔は写真にあまり関心がなかった私が、今では日常のささやかな瞬間を写真に残すことで、暮らしがより豊かで心地よく感じられるようになりました。
特別な機材も演出もいらない。スマホひとつで、その日の光や気持ちをそっと切り取る。そんなシンプルな習慣が、暮らしの彩りとなり、ブログに彩りとなっています。
これからも、フレッシュな「今」を写真とともに綴っていきます。