40代からの「クローゼットをひらく暮らし」第2回 クローゼットは、社会がつくる― 私の問題じゃなかった違和感 ―

②【生き方・考え方】

40代になってから、
「私が悪いのかな」と思う場面が、少し変わってきました。

以前は、
違和感を覚えるたびに、
自分の性格や努力不足を疑っていた気がします。

もっと強くならなきゃ。
もっと空気を読めたら。
もっと上手にやれたら。

でも、あるときふと立ち止まりました。
この息苦しさは、
本当に“私だけの問題”なのだろうか、と。

クローゼットは「性格」ではなく「構造」

― 本音をしまうのは、自然なことだった ―

私たちが本音をしまい込んできたのは、
気が弱いからでも、
自己肯定感が低いからでもありません。

それは、
社会の中で生きるために必要だった
とても現実的な構造でした。

場に合わせること。
求められる役割を果たすこと。
違和感よりも調和を優先すること。

そうするほうが、
安全で、評価され、
生きやすかった。

クローゼットは、
私たちを守るために作られた
“心の仕組み”だったのです。

「こうあるべき」が、クローゼットを深くする

― 正しさの積み重ねが生んだもの ―

40代まで生きてくると、
無数の「こうあるべき」に囲まれてきたことに気づきます。

女性はこう。
母親ならこう。
職場ではこう振る舞うべき。
中間世代は調整役であるべき。

これらは、
誰かに明確に命令されたわけではありません。

でも、
外れたときに感じる空気や視線が、
「正解」を教えてきました。

そうして私たちは、
少しずつ本音を奥へしまい込み、
クローゼットを深くしていったのです。

我慢・同調・空気を読む癖の正体

― 生き抜くための能力だった ―

我慢すること。
同調すること。
空気を読むこと。

それらは欠点ではなく、
むしろ高度な社会的スキルでした。

集団の中で摩擦を起こさず、
関係を壊さず、
役割を果たすための力。

40代までやってこられたのは、
それが“うまく機能していた”証拠でもあります。

ただ、その代わりに、
自分の本音がどこにあるのか
分かりにくくなってしまっただけ。

40代女性に重なる、見えない期待

― いくつもの役割のはざまで ―

40代は、
いくつもの立場が重なる年代です。

女性として。
母として。
働く人として。
上と下をつなぐ中間世代として。

「できて当たり前」
「察して動いて当然」

そんな無言の期待が、
日常のあちこちに存在します。

その中で本音をしまうのは、
弱さではなく、
とても賢い選択でした。

「私が弱いから」という思い込みをほどく

― 責めなくてよかった ―

40代になって感じる息苦しさは、
弱くなったからではありません。

むしろ、
役割と本音のズレに
気づけるようになったから。

それは、
心が鈍くなったのではなく、
成熟した証でもあります。

これまでの自分を、
責めなくていい。

よく適応してきた。
よく耐えてきた。
よく空気を読んできた。

そう言っていいのだと思います。

ひらく前に、知っておきたいこと

― クローゼットは、敵じゃない ―

クローゼットは、
なくすものではありません。

これまでの人生を守ってくれた
大切な構造です。

40代から必要なのは、
全部をひらくことではなく、
扱い直すこと

「これは私の問題じゃなかった」
そう気づくだけで、
心の緊張は少し緩みます。

その安心感が、
次にひらくための
いちばん静かな入口になります。

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