40代になってから、「自分の心のクセ」に気づく機会が増えました。
特に大きく変わったと感じるのは、人や出来事に対する“見方”です。
以前の私は、誰かのちょっとした言葉や態度に敏感に反応し、「あの人ってこういうところが苦手」「なんであんな言い方をするんだろう」と、相手の“嫌な部分”ばかりに目がいってしまっていました。
しかも不思議なことに、一度ネガティブな部分に注目してしまうと、他の側面がすべて見えにくくなってしまうのです。
本当は、その人に助けてもらったことも、好きだと感じていた部分もあったはずなのに、その記憶がぼんやりと曇っていく。
それは、自分の心が“整っていない状態”だったのだと、今ではわかります。
見方を変えたら、心がすっと軽くなった
あるとき、ふとこんなことを思いました。
「嫌だなと思う部分“以外”には、どれだけ良いところがあるんだろう?」
人は誰しも、完璧ではありません。
自分と違う価値観を持っていたり、ふとしたひと言が引っかかったりすることもあります。
でも、そのひとつの面だけで、相手全体を否定してしまうのは、なんだかもったいない。
その考えに至ったとき、少しずつ、私の心の中で何かがほどけていくような感覚がありました。
「良い面を見る」は、自分をごまかすことではない
「ポジティブに考えよう」「気にしないでおこう」
そんな言葉に、以前の私はどこか反発していました。
嫌なものを無理に“良い”と解釈するのは、自分の気持ちにフタをしてしまうことだと感じていたからです。
でも、「良い面を見る」というのは、感情にフタをすることではなく、視野を広げること。
嫌だと感じる部分にフォーカスしすぎず、相手の中にある他の側面にも目を向けてみる、冷静でやさしい行為なのだと気づいたのです。
私が始めた、小さな“心の整え習慣”
◎ その気づきから、私は少しずつ実践をはじめました。
◎ ついイラっとしたとき、「その人に助けられた場面」をひとつ思い出す
◎ 人の欠点を見たとき、自分にも似たところがないか考える
◎ 「この人にはこういう一面もある」と、判断せず観察する
この小さな習慣は、私の心に余白をつくってくれました。
完璧を求めすぎず、「いろんな面があるよね」と受け入れることが、自分自身をラクにしてくれたのです。
すると、自分の中の「こうでなければ」という思い込みも少しずつほどけていきました。
嫌な部分も、その人の一部。でもすべてじゃない
40代になって実感するのは、人間関係の悩みが「なくなる」わけではないということ。
でも、受け止め方が変わると、心の疲れ方が違うのです。
「嫌だな」と感じる部分も、その人の一部かもしれません。
でも、それが“すべて”ではない。
そこにとらわれすぎずに、他の面にも目を向けること。
それが、私にとっての「心を整える」習慣になりました。
心の焦点を変えるだけで、毎日が整っていく
「良い面を見る」という選択は、前向きなふりをすることではなく、
自分の心の焦点を、自分で選ぶ力だと今は感じています。
嫌な部分ばかりに目を向けるのではなく、
その人の優しさ、支えてくれた一瞬、美しい一面に意識を向けてみる。
そうすることで、自分の心が楽になり、日々が整っていく感覚があります。
40代は、見方や受け止め方を少し変えるだけで、生きやすさがぐっと増す時期なのかもしれません。
これからも私は、自分の心を整える“視点の持ち方”を、ていねいに育てていきたいと思っています。