便利な時代になったな、と感じることが増えました。
わからないことはすぐに調べられ、
言葉に詰まったときは、AIが答えをくれる。
ChatGPTもそのひとつ。
私自身、文章が思うように書けないときに、ふと問いかけてみることがあります。
すると、あたかも私の考えを整理してくれるような、そんな言葉が返ってくることがあります。
「なるほど、そういう表現もあるんだ」と思える瞬間も、確かにあります。
でも、あるときから少し距離を置くようになりました。
言葉にならない感を、急いで手放さない
私たちが何かを表現しようとするとき、すぐに言葉が見つかることばかりではありません。
なんとも言えない、まだ形になっていない感覚が心に残ることもあります。
私はそれを「言葉にならない感」と呼んでいます。
それは、雑音ではなく、むしろ本当の気持ちが育ち始めているサインなのかもしれません。
この感覚をすぐにAIにゆだねてしまうと、
自分の中にある「まだ言葉にならない何か」が、未成熟のまま置き去りになる気がしてしまうのです。
答えを急がない、40代からの向き合い方
40代に入ってから、自分の内面とゆっくり向き合う時間を意識するようになりました。
外から与えられる答えよりも、自分の中にある問いに耳を傾けること。
それが、暮らしの中の小さな整えにもつながっていると感じます。
たとえば「うまく言えないけど気になること」や「どうしても手放せない違和感」。
そういった曖昧な感覚こそ、自分らしい表現のヒントになると思うのです。
AIの言葉にすぐ飛びつくのではなく、
心の中に残っているものを、時間をかけてほどいていく。
その過程にこそ、「自分だけの言葉」は育っていく気がします。
自分の声を、小さくしない
便利なツールに頼ることは悪いことではありません。
私も必要なときには、AIの力を借ります。
けれど、気づかないうちに「自分で考えること」「自分の気持ちに耳を澄ますこと」を忘れてしまいそうになるのが、少し怖いのです。
言葉にならない感を持ったまま、その感覚と一緒に過ごしてみる。
焦らず、整えながら、少しずつ言葉を紡いでいく。
それは不器用に思えるかもしれません。
でも、自分の中から生まれた言葉には、他人の表現にはない温度があります。
整わない時間も、意味がある
思い通りに言葉が出てこない日もあります。
なにかを書こうとしても、まったく進まない日もあります。
けれど、そんな“整わない時間”もまた、
自分の感覚を育てていくために必要な時間なのだと、今では思えるようになりました。
AIの提案に頼らず、自分の言葉で表現していくこと。
それは、40代からの私にとって、大切な「心の整え方」のひとつです。