全てが経験だったと気づいた日。40代の私が“失敗”という言葉を手放せた理由

②【生き方・考え方】

40代になってから、ふと立ち止まる瞬間が増えました。
忙しさに追われていた頃には見えなかったものが、少しずつ目に入るようになった気がします。

これまでの人生を振り返ったとき、何度も頭に浮かんできた言葉があります。

「また失敗したな」

若い頃の私は、うまくいかないことがあるたびに、自分を責めていました。
選択を間違えたのではないか。
要領が悪かったのではないか。
続けられなかった自分が情けないのではないか。

失敗しないように、同じことを繰り返さないように。
そう思って選択を重ねてきたはずなのに、現実は思い通りには進まず、そのたびに心の中で自分に「×」をつけていたように思います。

けれど40代になった今、あの頃の出来事を思い返してみると、不思議と見え方が変わってきました。

「あれがあったから、今の選択ができている」
「遠回りだったけれど、無駄ではなかった」

そう感じられる経験が、少しずつ増えてきたのです。

当時は失敗だと思っていたこと。
途中でやめたこと。
思った結果が出なかったこと。

それらは確かに、あの時の私にとってはつらい出来事でした。
でも今振り返ると、自分の感覚を育て、価値観を整え、「これは私には合わない」と知るために必要な経験だったのだと思えるようになりました。

40代になると、人生の出来事が点ではなく、線としてつながり始めます。
その瞬間には意味が分からなかった出来事が、何年も経ってから静かに腑に落ちることもある。

だから最近は、「失敗」という言葉をあまり使わなくなりました。
代わりに、「これは経験の途中なんだ」と思うようにしています。

そう考えるだけで、心が少し軽くなります。
やり直すことも、立ち止まることも、自分を責めずに受け入れられるようになりました。

もし今、
「本当は別の人生もあったのではないか」
「無理やりこの道を選んだことにしているだけかもしれない」
そんな気持ちを抱えている方がいたら、伝えたいことがあります。

どちらの道を選んでも、正解かどうかはその場では分かりません。
王道と呼ばれる道でも、遠回りに見える道でも、そこにはそれぞれの経験が積み重なっていくだけ。

無理に「こっちでよかった」と言い聞かせなくてもいい。
後悔しないように意味づけをしなくても、あなたが歩いてきた道は、ちゃんとあなたの中に残っています。

どんなにつらいことがあっても、今すぐプラスに変えなくていい。
ただ、長い目で見たときに、その経験が静かに支えになってくれる日が来るかもしれない。
私は、そう信じています。

40代からは、あとから整っていく。
人生に失敗した道はなく、あるのはすべて経験。
その積み重ねが、今の私たちをつくっているのだと思うのです。


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