「口に入るものは、適正な価格で」
これは、私の母がよく言っていた言葉です。
若い頃、まだ物の価値もよくわからなかった私に、
母は“安さ”よりも“質”を選ぶことの大切さを、静かに教えてくれていました。
「安いものには、それなりの理由があるのよ」と。
その言葉が心に残り、私の買いものの基準はずっと変わっていません。
安さの背景を、少しだけ考えてみる
現代は、手頃な価格の食材がたくさんあります。
忙しい毎日にとって、それは助けになることも多いと思います。
でも私は、価格だけで選ばないようにしています。
「どうしてこんなに安くできるんだろう?」
「どこで、どんなふうに育てられたのかな?」
そんなふうに、“食材の背景”に思いを馳せるようになったのは、40代に入ってから。
生産の過程、流通のしくみ、誰かの手間や時間…。
食材の価格には、そうしたものが見えない形で詰まっていると思うからです。
「安ければいい」という考え方もあると思いますが…
私は昔から、“安心できるものを選びたい”という気持ちがどこかにありました。
値段よりも、自分の体に合うかどうか。
そんな“感覚”を大切に、食材を選んできたように思います。
極端にこだわる必要はないけれど、
“なんとなく”ではなく“自分なりの基準”を持つことは、40代になってより大切にしたいと思うようになりました。
丁寧な素材が、料理をラクにする
ちょっと高くても、育て方が丁寧な鶏肉。
土の香りが残るような、顔の見える野菜。
昔ながらの製法でつくられた調味料。
そういった食材は、味に深みがあり、体が喜んでいるように感じます。
そして不思議と、調理もシンプルでいい。
◎ 塩だけで味が決まる
◎ 下処理がいらない
◎ 体にしみ込むようなやさしい味になる
結果として、「台所に立つこと」自体が心を整える時間になっていきました。
少しの贅沢より、日々の“適正な選択”を
安さだけを追いかけて、たくさん買って、食べきれずに捨ててしまう。
そんな経験が、私にもかつてはありました。
でも今は、必要な分だけを、自分が納得できるものを選ぶようになりました。
そのほうが、心も暮らしも軽くなりますし、
「ちゃんと食べられた」という満足感が、何よりの“整う感覚”になります。
40代からの「選ぶ力」は、未来の自分へのやさしさ
食材を選ぶこと。
それは、体を整えるだけではなく、心にも栄養を与える行為かもしれません。
そしてその選び方の軸には、やっぱり母から教わった言葉がある。
「口に入るものは、適正価格で」
これからも、自分の感覚を信じながら、
体と心にやさしい台所を、静かに続けていきたいと思っています。

