「終わり」は、悲しいだけじゃない。40代から見つめ直す“ネクストステージ”という考え方

ライフスタイル

季節の終わりと、心のはじまり

夏の暑さが本格化すると、ふと感じることがあります。
それは、ひとつの季節の“終わり”と、“始まり”が重なり合っていること。

昼の長さが少しずつ短くなり、秋の気配が忍び寄ってくる頃、
私たちの内面にも、似たような変化が訪れていることに気づくのです。

40代から、人生に訪れる静かな“終わり”

40代を迎えて、少しずつ「終わり」に出会うことが増えてきました。

たとえば、長く続けてきた仕事を手放す決断。
関わる人間関係の変化。
体力の衰えを感じたり、心の動き方がこれまでとは少し違ってきたり——。

それらは決して劇的なものではなく、静かに、けれど確実に、自分の中で一区切りが訪れているサインです。

初めは寂しさや不安を感じるかもしれません。
けれど、終わりは“喪失”だけではない。
むしろそこには、“祝福”のようなものがあると、今は思えるようになりました。

「終わり」は“完成”でもある—卒業、終了、完結という言葉のちから

日本語には、「卒業」「終了」「完結」といった言葉があります。
どれも“終わり”を意味しますが、不思議と前向きな響きを持っています。

なかでも「卒業」という言葉は、何かを終えて、新たな世界へ向かう旅立ちを連想させてくれます。

私自身、ある仕事や環境を離れたときに感じたのは、喪失感よりも「一区切りつけられた」という清々しさでした。
完璧ではなかったかもしれない。けれど、自分なりに精一杯やってきた。
そんな風に自分を認めてあげられることで、心に静かな達成感が生まれたのです。

「終わること」は決して敗北ではなく、やりきったからこそ訪れる“完成”のかたち。
そして、それは次のステージへ向かうためのサインでもあると感じます。

「さようなら」は、新しい「はじめまして」

40代は、価値観や生き方を自然に見直すタイミングです。
「これまで通り」が、少しずつ「もうそろそろ手放してもいいもの」へと変わっていく。

そして、何かを手放すと、空いたスペースに新しいものが流れ込んでくる——これは、自然の摂理のようなもの。

終わりをただ悲しむのではなく、「ありがとう」と感謝を込めて見送る。
そうすることで、今の自分にぴったりな暮らしや人間関係、新しい楽しみが、自然と引き寄せられてくるように思うのです。

“さようなら”は、いつだって“はじめまして”とつながっている。
そう信じることができれば、「終わり」はむしろ優しく、やわらかなものになります。

「終わり」に慣れていくと、人生はもっと自由になる

若い頃は、「続けること」こそが正解だと思っていました。
終わることに対して、不安や恐れを感じていたものです。

でも、40代以降の今なら思えます。
「終わってよかったこと」も、たくさんあるということを。

終わったからこそ、ありがたみが増したもの。
終わったからこそ、自分の本音に気づけたこと。

物ごとには“旬”があります。
そしてその旬が過ぎたときには、潔く手放していい。
むしろ、手放すことで見えてくるものがたくさんあります。

スペースができることで、本当に必要なものがわかってくる。
それが、「私時間」や「心地よい暮らし」を生み出すきっかけになるのだと思います。

「終わり」は、祝福された扉

人生は、「終わり」の連続です。
けれど、それはネガティブなものではなく、“次のステージ”へ向かうための通過点。

今、あなたの前にある「終わり」は、何かが完成した証かもしれません。
そこには、静かで、穏かで、優しい「おめでとう」が込められている。

どうか、その扉を怖がらずに開けてみてください。
その先にある世界は、きっとやわらかく、明るく、あなたを迎えてくれるはずです。

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