年末年始が近づくと、街は光に包まれ、
「よいお年を」「あけましておめでとう」という言葉があふれます。
でも、誰もがそれを心から言えるわけではありません。
大切な人を失ったばかりの人。
重たい思いを抱えたまま時間だけが過ぎる人。
節目を祝える気持ちになれず、ただ静かに日々を積み重ねている人。
そんな現実に寄り添うことも、私たちの暮らしの一部だと思います。
祝うこととつらさは共存する
年末年始という大きな節目は、
無条件に喜びを感じられる季節ではありません。
むしろ、これまでの時間の重さや、未完の思いを
よりはっきりと感じるタイミングになることもあります。
誰かの悲しみを思い、「自分はよかった」とは言えない気持ち。
それは弱さでもなく、心が立ち止まっている証拠でもありません。
長く生きてきたからこそ感じる深さなのです。
光と影の両方を見るという成熟
過去の悲しい出来事や後悔には、
別の側面も必ず存在します。
失ったからこそ気づいた大切なもの。
傷ついたからこそ育ったやさしさ。
混乱の中で見出した新しい価値観やつながり。
光はまぶしく輝くものだけではなく、
静かな場所でふっと心を温めるものでもあります。
40代は、
簡単に割り切る力ではなく、
光と影の両方を同時に抱きしめられる年代だと思います。
今を生きるという選択
私は40代になって、
人生でいくつもの別れや痛みを経験しました。
その度に、心の奥で問い続けたのは、
「意味はあるのか」「これでいいのか」ということでした。
でも今は、
過去の出来事すべてに意味をつける必要はないと感じています。
大切なのは、今この瞬間に立っている自分を認めること。
今日という日を、ちゃんと生きてここにいるという事実を
自分自身に許すことです。
※ 今を生きる、というのは
・未来を明るく想像すること
・過去を完全に癒すこと
ではなく、
呼吸を感じ、今の自分を抱きしめ、静かに時間を通過すること
なのだと私は思います。
それでも“ありがとう”と言える自分へ
立ち上がれなくてもいい。
答えが出なくてもいい。
光が見えなくてもいい。
ただ、ここにいる自分をそっと抱きしめて、
「今日もよくやった」と伝えられる時間があるだけで十分なのです。
誰かが明るく新年を迎えていても、
あなたがまだその気持ちにたどり着けなくてもいい。
その“違い”は間違いではなく、
人それぞれの歩幅と時間なのだと思います。
私はただ、
今この時間を生きている自分自身に
「ありがとう」と言いながら、
また次の朝を迎えたいと思います。
影も、光も両方抱えたまま—
それでも人生は続いていくのです。
そして、40代からの私たちが選べる最も誠実でやさしい歩き方が、
この“静かな今を生きる時間”なのだと感じています。

