食事はちゃんと摂っているのに、なんだか心が満たされない。
そんな日が、40代になってから時々訪れるようになりました。
体力も気力も落ちているわけではないのに、ふとした瞬間に感じる「足りなさ」。
その“見えない隙間”に気づけるようになったのも、年齢を重ねたからこそかもしれません。
実は私、以前は草木や花にほとんど興味がありませんでした。
「きれいだな」と思っても、ただそれだけで、足を止めたりすることもなかった。
忙しさの中で、自然に目を向ける余裕すらなかったんだと思います。
そんな私が最近、ふと立ち止まるようになったのが
街の中にある、ほんの少しの緑でした。
小さな緑が、私を立ち止まらせた
ある日、駅へ向かう途中、歩道の端に咲いた小さな花が目に入りました。
ビルの影で、誰にも見られていないような場所に、健気に咲いていたその姿。
いつもなら気づかず通り過ぎてしまうところで、
なぜかその日は、足を止めてしまったんです。
いつの間にか忘れていた深呼吸を、その瞬間やっと思い出せた気がしました。
「何も変わっていないのに、気持ちが少し整った」。
そんな静かな変化を、自分の中に感じました。
切り花を飾る時間が、私の心を整える
それ以来、部屋にも切り花を飾るようになりました。
季節の草花を、たとえば1本でもいいから。
花瓶に水を入れ、茎を少し切って、そっと飾る。
そのたった数分の時間が、私にとって“整うスイッチ”になっています。
観葉植物のようにずっと根づくものではなく、
切り花は儚く、そして移ろいやすい存在。
でもだからこそ、今日の姿が愛おしくて、
「今、この瞬間を大事にしたい」と自然に思えるようになりました。
花が咲いて、少しずつ変化して、やがて枯れていく。
その流れを見守ることで、
自分の時間の流れにもそっと寄り添える気がするのです。
“満たされる”って、こういうことかもしれない
植物を通して得られるのは、静かな、でも確かな栄養です。
食べ物で体は満たされても、心の奥が乾いていると感じることがある。
そんなとき、緑や花が“目に見えない栄養”をそっと与えてくれます。
ただ見つめるだけ、ただそばにあるだけ。
それだけで、呼吸が深くなって、心が静かに整っていくのです。
街の中の“緑”を探す楽しみ
自然の中に行かなくても、都会にはたくさんの“見逃しがちな自然”があります。
街路樹の葉の色、公園の草の匂い、花屋の店先の彩り。
以前は目にも入らなかったそんな風景が、今は心の栄養になっています。
「花が好き」という気持ちさえ、いつから芽生えたのかも覚えていません。
でも、確実に私は変わった。
少しずつ、優しさと余白を暮らしの中に取り戻しているように思うのです。
もともとは無関心だった植物に、
これほど心を寄せるようになるなんて、昔の私は想像もしませんでした。
でも今では、街の片隅で咲く小さな花や、
部屋に飾った切り花が、私の心をそっと整えてくれています。
食べ物だけでは満たされないと感じたとき、
“食べる以外の栄養”としての植物の存在は、
静かに、でも確かに、私を元気にしてくれます。
これからも私は、自分の中の「見逃しがちな栄養」に目を向けながら、
暮らしを丁寧に整えていきたいと思っています。