「結局どっちなの?」「はっきりしてよ」「正しいのは、どっち?」
そんなふうに、“白か黒か”で物事を判断していた時期が、私にもありました。
でも40代になってから、ふと立ち止まる瞬間が増えました。
どちらかに決めつけるよりも、「どちらにも理由がある」「両方の中間に立ってみよう」という視点が、心をとてもラクにしてくれるようになったんです。
正しさの裏にある“感情”と“背景”
たとえば、誰かの意見に違和感を覚えたとき。
以前の私は、「この人の考えは間違ってる」とついジャッジしていました。
でも今は、「どうしてそう思ったんだろう?」と、相手の背景やタイミングに目を向けるようになりました。
自分が白だと思っていたことも、状況が変わればグレーにもなるし、相手にとっては黒に見えるかもしれない。
そんなふうに、「見る角度で変わるもの」として受け止めることができるようになると、争わずに済む場面も増えてきました。
“どっちも正解”でいいと思えたら
40代になって、これまでの経験から学んだことがあります。
それは「どっちも正解」という答えも、あるということ。
たとえば、
◎ 「仕事か家庭か」ではなく「仕事も家庭も大切」
◎ 「都会か田舎か」ではなく「それぞれに良さがある」
◎ 「健康志向か甘やかし」ではなく「バランスが大事」
正反対に見えるものも、両方が必要だったり、交互にバランスを取っていたり。
人の考えや選択って、実はそんなふうにグラデーションで成り立っているんですよね。
白と黒のあいだにある“グレー”が、実は私を救ってくれる
昔の私は、「白黒はっきりつけなきゃ前に進めない」と思っていました。
でも今は、あえてはっきりさせないことが、自分を守ることもあると気づきました。
グレーな部分を「中途半端」と思うのではなく、「どちらにも寄り添える場所」として受け止める。
このグレーゾーンが、心に余白をくれて、無理をしなくて済むスペースにもなってくれています。
“分かり合えない”も、大切な一部
年齢を重ねて、いろんな人に出会ってきたからこそ思うのは、
「分かり合えないことも含めて、その人を受け入れる」という姿勢が、関係を長続きさせるんだということ。
無理に同じ色に染めるのではなく、
「白もあるね」「黒もそうだね」と、お互いの色をそのまま尊重し合える関係。
それは自分に対しても同じで、
「今日は頑張れなかった私」も、「ちょっと強く言っちゃった私」も、どちらも私自身。
どちらもあっていいと認めることで、自分を整える力が育っていくのだと思います。
「白か黒か」ではなく、「白も黒もある」。
その間にある色に気づけるようになったことが、40代の私にとってのひとつの成熟なのかもしれません。
どっちつかずで悩んだっていい。
白と黒を行き来する日々の中で、自分だけのニュアンスを見つけていけたら、心はもっと自由になれる。
そして、それこそが「自分を整える」ということなのかもしれませんね。