シードヘッドをめでる時間 ― 枯れゆく姿に見つける、40代からの心の豊かさ

②【生き方・考え方】

花のあとに訪れる静かな時間

花が咲き誇る季節が過ぎ、ふと足もとに目を向けると、そこには静かに形を変えた“シードヘッド”の姿があります。
華やかだった花が、やがて種を抱きながら枯れていく―その姿には、終わりではなく「つづき」があるように感じます。

40代になってから、私は植物のそんな時間に心を寄せるようになりました。
変化を恐れず、季節を受け入れるその姿に、自分自身の生き方が重なって見えることがあります。

シードヘッドの静かな美しさとは

シードヘッドとは、花が咲き終わったあとに残る「種を包む部分」。
コスモスやエキナセア、ニゲラ、ラベンダーなど、花の季節とは異なる落ち着いた美しさを見せてくれます。

乾いた質感、くすんだ色合い、風に揺れる軽やかさ。
華やかさこそないけれど、“役目を終えたからこそ宿る静けさ”があるのです。

そんなシードヘッドを小瓶に飾ると、空間にやさしい余白が生まれます。
リースやスワッグに加えれば、季節を問わずナチュラルな雰囲気を楽しめます。
透明なガラスドームや器にまとめれば、“時の流れ”を閉じ込めたような佇まいに。
眺めるたびに、心がすっと整う―それが、私にとっての小さな“私時間”です。

枯れることは「終わり」ではなく「熟すこと」

かつての私は、“枯れる”という言葉に少し寂しさを感じていました。
けれど、植物たちは枯れながらも次の命を抱いています。
見た目は静かでも、その中では新しい季節の準備が進んでいるのです。

それは、40代を迎えた私たちの姿にもどこか似ています。
体や価値観の変化を感じながらも、内側では確かに何かが熟していく。
若い頃のような勢いはないかもしれません。
でも、経験や思考の深さという“種”が、心の中で静かに息づいています。

「今の自分でいい」と思えるようになると、
暮らしの中にやさしい風が吹きはじめる―
それが、私がシードヘッドから学んだ大切なことです。

暮らしに取り入れる、シードヘッドのある時間

◎ 小瓶に数本だけ飾る

余白のあるスペースにそっと置くと、空気がふっとやわらかくなります。

◎ リースやスワッグに混ぜる

花の色味が落ち着き、ナチュラルで静かな印象に。季節を問わず長く楽しめます。

◎ ガラスドームや器にまとめる

“時の流れ”を閉じ込めたような佇まいで、見るたびに心が整う空間に。

飾ることよりも、「その形の意味を感じる」こと。
完成形ではなく、変化の途中を楽しむこと。
それが、シードヘッドの本当の魅力なのだと思います。

静けさの中に見つける豊かさ

植物が枯れた後の姿を愛でることは、
人生の中で“何かを手放したあと”にも豊かさを見いだすことにつながります。

暮らしの中の静けさや余白が、年齢を重ねた今だからこそ心地よく感じられる。
シードヘッドは、そんな「40代の私時間」をやさしく導いてくれる存在です。

窓辺に置いたシードヘッドを眺めながら、小さく息を整えて一日を始める。
華やかではなくても、そこにあるだけで美しいものがある。
その感性こそが、これからの私たちの暮らしを豊かにしていくのだと思います。

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